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東京都サッカー審判協会の歩み  その6


第2回海外サッカー視察・・・・
シドニー2000オリンピック競技大会―前編―

 

RA東京の事業の中で海外視察研修は
他に例を見ない特色の一つである。

2000年は20世紀最後の年であり人類史の一つの節目の年であった。
オーストラリアはアジアオセアニア地区のスポーツ大国であり
夏期オリンピック開催国に相応しい印象を十二分に持たせるものがあった。

さて忘れられないことは、シドニーオリンピックで
トルシエ監督の率いる日本代表は見事予選を突破して
決勝トーナメント第1戦の準々決勝で
アメリカと対戦し惜しくも引き分けPK(5-4)で敗れ、
ベスト4入りを逃したのである。  

ここでその記憶を新たにするために記録を記したいと思う。

予選D組

 

ブラジル

日 本

南アフリカ

スロバキア

勝ち点

ブラジル

 

○1-0

●1-3

○3-1

日 本

●0-1

 

○2-1

○2-1

南アフリカ

○3-1

●1-2

 

●1-2

スロバキア

●1-3

●1-2

○2-1

 

日本は得失点差によって2位となった

決勝トーナメント 9月23日 アデレード

 

前半 後半 延長  計 PK

米国   0   2          2  5

日本   1   1    0      2  4

 

日本は前回のアトランタ大会では得失点差で
惜しくも決勝トーナメント進出が出来なかったが、
今回は2勝1敗で順当に予選を戦い抜き
決勝トーナメントの準決勝に勝ち進んだ。
チームはトルシエ監督がユースから育てた選手たちである。
対米国戦は以下のメンバーである

GK 楢崎正剛 
DF 中澤佑二 森岡隆三 松田直樹 
MF 酒井友之 明神智和 
稲本潤一 中村俊祐 中田英寿 
FW 高原直泰 柳沢敦 (交・三浦淳宏)

 

決勝 9月30日 シドニーオリンピックスタジアム 観客数 98312人

前半 後半 延長  計 PK

カメルーン     0   2         2   5

スペイン      2   0    0     2   

 

不屈のライオンと呼ばれたカメルーンが、不沈艦スペインに
前半0-2と先行されながら後半粘り強く追いつき、
PK方式を5-3と制して初優勝した。
96年のアメリカ・アトランタ大会で
ナイジェリアが優勝したことに引き続いての
アフリカ勢の旋風が巻き起こった大会であった。

女子サッカーは8チームが参加して行われ、
決勝戦はノルウェーが3-2で米国を下し優勝した。

旅行の日程

日 付

滞在地

現地時間

摘 要

9月14日(木)

成田

21:40

空路ブリスベンへ

9月15日(金)

ブリスベン着

ゴールドコースト泊

7:20

ローン・パイン・コアラ保護区見学

9月16日(土)

ゴールドコースト

ブリスベン

19:00

キックオフ

出発まで自由行動及び

オプショナルツアー

男子サッカー予選

チェコvsクウェート戦観戦

 ブリスベンスタジアム

9月17日(日)

ゴールドコースト

ブリスベン

19:00

キックオフ

出発まで自由行動及び

オプショナルツアー

男子サッカー予選

ブラジルvs南アフリカ戦観戦

 ブリスベンスタジアム

9月18日(月)

ブリスベン発

成田着

午前

19:00

ブリスベン発

ケアンズ経由で成田へ

 

試合観戦

観戦については、勿論、日本戦を希望したのであるが、
旅行日程の作成時機が組み合わせ抽選の行われる時機より
ずっと前であったため残念であった。
しかし、かえって研修目的は十分果たせたものと思っている。
両試合とも予想を覆す番狂わせの結果となり非常に面白い試合であった。

9月16日 チェコvsクウエート 
   2-3(1-0)ブリスベンスタジアム

9月17日 ブラジルVS南アフリカ戦 
   13(1-1)ブリスベンスタジアム

 観戦の様子
写真1 スタンドでレフェリングのメモを取りながら観戦研修する会員諸氏。
game1
写真2 チェコ(赤)VS クウェート(青)
game2
写真3 ブラジル(黄)VS南アフリカ(緑)

2014.1.26更新
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東京都サッカー審判協会の歩み  その5

ポンペイの遺跡を訪ねる


第1回海外サッカー視察研修がイタリアローマとしたことは
本会の海外サッカー視察研修のあり方を示す
重要な意味を表しているのです。
それは訪問国のサッカーを実際に見聞すると同時に
その國の文化や歴史を学ぶことをコンセプトに置いて
実施する方針としたからです。
 イタリアの古代都市遺跡を訪ね
その歴史をつぶさに見ることが出来たことは
参加者に深い感銘を与えたのです。
ポンペイ市内
1.ポンペイ市街
紀元79年ベスビオス山の大噴火で
市街全体が火山灰によって埋没した。
1860年頃から組織的に発掘が行われた。
写真は道路の両側に栄えていた商店街である。
道路には歩道が作られていて、
その内側には馬車の車道が作られている。
奥に見える飛び石は道を横切る横断歩道である。
豪邸
2.商店街の裏には広い中庭のついた豪邸がある。
豪邸の壁には当時の壁画が色鮮やかに残されていた。
広場
3.市街の中心に市民が集会を行った広場があり
写真左の白い石柱は神殿の遺跡である。
市役所

4.市街の中心には市役所があり当時の進んだ行政組織を偲ばせる。

プール
5.市内にはスポーツ施設が作られていて
中央にはプールが作られている。
演芸場
6.市街の外れの岡には地形を利用して作られた
円形すり鉢状の大きな演芸場がある。
現代のスポーツ競技場の原型を思わせる。
ナポリ湾
7.美しいナポリ湾。
遠くに山頂が噴火で吹き飛んで変形したベスビオス山を望む
2013.4.11更新


東京都サッカー審判協会の歩み  その4
ローマサッカー審判協会訪問

第1回海外サッカー視察研修は
ローマのイタリアサッカー審判協会訪問という
前代未聞の歴史的事業として記録されるものでした。
イタリア審判協会では日本から私たち一行が来るということで
受け入れ態勢を整えて大歓迎をしてくれたのです。

この企画が実現できたのは何といっても

クリスト・ピエトロ、幸子さんご夫妻のご尽力があってのものです。

ピエトロ夫妻とコリーナ氏


イタリア審判協会はサッカー協会から独立した3階建てのビルでした。
これは私たちにとっては実に新鮮な印象を受けたものでした。

それは審判協会は独立した存在であるということを知ったからです。
ビルの入り口には拳銃を所持した警察官がいて、
日本では考えられない厳しい状況があることを実感したのです。
door
審判協会ビル入り口 
plate
審判協会のプレート 

その当時イタリアでは審判員をめぐる不祥事があって、
セリエAでは審判割り当てが重要な問題となっていたのです。

私たち一行は秘密と思われる割り当て作業場である
地下室を特別に見学することを許されたのです。

方法は籤引きで、白いボールの中に
審判員の名前を書いたカードを入れて
これを透明な籤引き機械に入れて回すというものでした。
1試合に4人を割り当て、試合直前に主審を発表するのです。
choice

choice2
こうして試合直前まで主審を始め
すべての審判が漏れないようにするとのことでした。
IT技術の発達した現在はどうなっているのでしょうか。

 

 

ゴネーラ会長とコリーナ氏がこぞって私たちを迎えてくれたのです。
2013.2.4更新


東京都サッカー審判協会の歩み  その3

セリエA観戦

RA東京が掲げている活動の柱に位置づけている
海外サッカー視察は、
この目でサッカーの本場を見ることにある。
第1回海外研修のイタリアローマ訪問は
その目的を実現したものである。
ローマ・オリンピックスタジアム

1>ローマオリンピック記念スタジアム
スタンド後方に歴史を感じさせる森が見える。試合はペルージャvsラッツィオ。

ラツィオのサポーター
2>ラッツィオのサポーター。この当時日本ではこのような光景はなかった。

ペルージャ# 7 中田ヒデ

3>3人の青いユニホームの選手に囲まれている選手(背番号7)はだれでしょうか?

コーナーキック

4>この当時のコーナーキック時の副審のポジション。皆さんに経験はあるでしょうか。

発炎筒

5>試合中の発煙筒騒ぎ、しかし、試合は中断されることなく続けられていた。

メンバーはこんな方たち

6>スタンドにて。RA東京視察団一行。

東京都サッカー審判協会の歩み  その2

第1回海外サッカー視察研修・イタリア
1999年2月6日(土)-11日(火)


RA東京の海外視察研修は
活動事業の重要な柱として位置づけられていている。
1999年2月イタリアローマ審判協会を訪問したことは、
本協会の歴史的成果として記録されている。
日本がフランスワールドカップに初出場した翌年であり、
3年後に日韓ワールドカップを控えていたこともあり、
日本から初めて審判協会が来ることに、
ローマ審判協会は我々一行を大歓迎してくれたのであった。
日本サッカー協会も我々がイタリア審判協会を訪問することに
表敬のためのペナントを持たせてくれるなど支援をしてくれたのである。
a

写真1 イタリア審判協会事務所を訪問。ゴネーラ審判委員長と会う。
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写真2 ローマ・コロッセオ前で一行の記念写真。
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写真3 日本サッカー協会ペナント
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写真4 イタリアサッカー協会ペナント
以上 2012.6.27 更新

東京都サッカー審判協会の歩み  その1

創立は1996年、東京都サッカー協会に登録された審判員
約70名の有志によって創立されました。
写真はその時に作られたパンフレットです。
上段に下記のような3行の文言が書かれています。
これが創設時のスローガンであり、
それは、2007年に創立10周年を機会に
NPO法人になった今も
基本理念として引き継がれているのです。

RATOKYOは審判員の横のつながりを深める親睦団体です
審判委員会が“縦の組織”ならば、審判協会は
審判員仲間による自由で柔軟な“横の組織”です

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