麻婆豆腐とサッカー 会長 長坂幸夫
中華料理のメニューには欠かせないものに、あの赤く辛みの効いた麻婆豆腐がある。先日、この名前の由来を知った。
今から100年ほど前、四川省の成都に住む陳さんというお婆さんが労働者相手に作ったのが始まりだという。「麻」は顔に出来た「あばた」を意味する文字で「婆」は陳お婆さんが作ったからつけた文字だという。
きっと、ちいさな屋台で陳お婆さんが豆腐に赤い唐辛子を煮込んで労働者に売ったのであろう。労働者たちは名付けて「麻婆豆腐」としたのが広まったのではなかろうか。
このことを知ったのはある麻婆豆腐専門店で、お膳の上にあった敷紙に書いてあった麻婆豆腐の由来を料理が運ばれてくる前にふと目にしたからであった。その時まで麻婆豆腐を注文するときに名前の由来などは一切考えることもなく、あの辛みの効いた料理として、いの一番に注文したものである。中国生まれの食文化が日本に伝来しているが、料理にはそれぞれ歴史があることを改めて意識したのであった。
さて、表題に「麻婆豆腐とサッカー」としたのは、今や国民的スポーツになったサッカーはスポーツ文化の一つである。ところでボールを蹴っている人達がこのサッカーの名前の由来を知っている人はどのくらいいるであろうか。これは麻婆豆腐の由来を知らないで食べている自分と同じではなかろうかと思ったからである。
サッカー発祥の地はご存じのように英国である。しかし、英国ではサッカーという語は通用しない、英国ではフットボールなのである。かつ、フットボールは世界共通語である。
サッカーという名称はアメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本、韓国等の数カ国にすぎない。
英国生まれのフットボールがなぜサッカーになったのであろうか。それをひもとくには、英国でフットボールが誕生した1863年に遡らねばならない。この年、ロンドンに集まったクラブの代表によって統一ルールを制定してThe Football Association(FA)が結成された。このとき手を使うことを容認するクラブは結成に加わらず,後にRugby Football Unionを結成したのである。前者は競技名をAssociation Football(アソシエイション・フットボール)と称し後者はRugby Football(ラグビー・フットボール)と称した。
学生はいつの世でも長ったらしい語は嫌い短くするのが得意である。ラグビーをする学生はRugbyFootballを短くRuggerと呼んだことから、Association Footballをする学生もこれに対抗して短くすることを考え、最初はAssoccerとしたが、Ruggerに対応するべく頭のAsをとりSoccerとしたのである。これがSoccerという単語の出来た由来である。日本では昭和24年頃までは前者をア式蹴球、後者をラ式蹴球と呼んでいた。日本ではフットボールの日本語訳を日本伝統の蹴鞠から蹴球と翻訳したのである。
The Football Association of Japan(JFA)は大正10年大日本蹴球協会という名称で創設され、第2次世界大戦後は日本蹴球協会となった。
さて、日本にSoccerという語が伝えられたのは大正時代と考えられ、当時、慶応大学では英国の学生がSoccerと呼んでいることを知りア式蹴球部と言わずソッカー部と称したのである。現在でも慶応大学はソッカー部と称している。Soccerをソッカーと発音するのはキングスイングリッシュでありサッカーと発音するのはアメリカンイングリッシュなのである。
英国で誕生したフットボールは世界に伝搬していくが、大きな役割を果たしたのは英国海軍であった。その当時、FAの理事会にはパブリックスクールを出て陸海空軍の軍人となった英国のエリートたちが選ばれていた。彼らは軍艦で訪れた先々の地域と国でフットボールをし、かつ、そこに住む人達にフットボールを教え普及したのである。日本では明治6年、イギリス軍艦の乗組員を築地の海軍兵学寮に招聘した時、ダグラス少佐ほか23人の将兵が着任し、訓練の余暇に自分たちもフットボール楽しみ、日本人にフットボールを教えたのが始まりである。FAの誇りを持つ彼らは英国の誇りとする紳士のスポーツを伝えたのである。ダグラス少佐たちのプレーを見た日本の指導者たちは、これを「異人さんたちの蹴鞠」と受け取ったという。
その一方、祖国英国を脱出し新天地をアメリカ大陸やオーストラリア大陸に求め移住した人達はFAの誇りは意識されなかったのであろう、学生が作った俗称Soccerの名を使用したと考えられる。発音もソッカーではなくサッカーと変化したのである。サッカーはアメリカの社会、文化、教育の影響を強く受けた地域、国において通用する言語と理解される。
現在、JFAを日本サッカー協会と呼んでいるのは何故であろうか。
それは日本の敗戦と深く関わりがある。戦後日本はアメリカの統治下におかれ、学校の教育課程はアメリカのそれをモデルとして作られたのである。アメリカの教育使節団の指導のもと昭和25年に新教育課程が施行された時に体育の必修科目としてサッカーが導入された。つまり蹴球が一部の生徒が行うものから全ての生徒が学習するものへとなったのである。同時に運動部の蹴球部はサッカー部となり、大会は蹴球大会からサッカー大会へと名前が変わったのである。蹴球は死語に等しいものとなった。サッカーは学校教育を通して日本の共通語となったのである。日本蹴球協会はこの機会を捉え通称を日本サッカー協会としたのである。
麻婆豆腐は第2次世界大戦後日本の復興と経済発展ともに中華料理の定番として日本人に好まれるものになった。サッカーも同様に長い道のりを経て来たが日本人の愛好するスポーツになった。両者は外来語であるが日本語として通用する言語になったと考えるのである。